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阿波藍について

阿波藍とは

タデ科の植物である藍の乾燥葉を発酵させてつくる天然藍染料が「すくも」です。天然藍染めは、すくもを使った染料液によって染められます。徳島で製造される「すくも」を「阿波藍」と呼び、今も徳島に残る5軒の藍師が伝統を守りながら、大切に阿波藍をつくり続けています。阿波藍は、藍師自らが製造し販売までおこなっています。

阿波藍の製造

春、3月の大安の日を選んで藍の種を苗床に撒き、その後、約20cmに成長した苗を本畑に移植します。成長した藍の葉の収穫は1年に2回ほど。通常、7月に1回目の刈り取り(一番刈り)が行われ、その後、藍の葉が再生すると、8月に2回目の刈り取り(二番刈り)を行います。

刈り取った葉は、直ちに畑から藍師の家に移され、裁断機にかけられます。その裁断された藍葉は、裁断機の吹き出し口から出てきて扇風機の風で飛ばされます。重さによって、藍葉と茎を選別するのです。

次に、選別された藍葉を藍師の庭に広げ、天日で乾燥します。この作業を「藍粉成し」(あいこなし)と呼んでいます。天日乾燥には2日かけます。乾燥が不十分ですと、いい阿波藍ができませんから、天気のいい日を選んでこの作業が繰り返されます。乾燥した藍葉は「ずきん」と呼ばれる専用の袋に入れて保存されます。

9月になると、保存しておいた藍葉を「寝床」に入れます。その床は、砕石(砂利)、砂、もみ殻、粘土を重ねて作られています。
寝床には換気用の窓が必ずつけられています。

阿波藍の最初の製造工程を「寝せ込み」と言います。1床(ひととこ)当たり3,000kgから3,750kgの藍葉を積み、同量の水をかけて混ぜ合わせ、約1mの高さに積み上げます。寝せ込みの後、5日ごとに藍葉に水を打ち混ぜますが、この工程を「切り返し」と呼んでいます。木製の「四ツ熊手」という道具で藍葉を掻き寄せ、木製の「はね」で返し、竹製の「こまざらい」で混ぜた後、元の高さに集め、「ふとん」と呼ぶ「むしろ」をかけます。この「切り返し」を何度も続け、4度目の作業時に「二番刈り」の藍葉を加えます。
この工程の中、最も重要な作業のひとつが「水打ち」です。以前は「水師」と呼ばれる専門の職人がこの作業を管理していましたが、現在は「藍師」がこの作業も行っています。

発酵が進むにつれ、積み上げた藍葉の温度は上昇し、中心部は60℃以上の熱をもちます。また、発酵により強い刺激臭も伴います。寝床に窓があるのはこのためです。
「切り返し」を12〜13回行った後、10月下旬には、むらなく発酵するように阿波藍をくだきます。この工程を「通し」と呼んでいます。「通し」は11月に、17〜18回目の「切り返し」の後にも行われます。合計22〜23回の「切り返し」で阿波藍は仕上がります。藍師によって、阿波藍の製造時期が若干異なりますが、9月から1月の間に、90日から100日かけて仕上げられるのです。

仕上がった阿波藍は、藍師の屋号の印を押した「かます」と呼ばれる専用の袋に入れられ、1俵あたり15貫(56.25kg)で日本全国に出荷されます。
《参考文献:川人美洋子「阿波藍」》

阿波藍の歴史

阿波藍は、江戸時代以降、需要の増加に伴い製造量が増加していきました。
江戸時代の阿波藍の繁栄には、3つの理由があります。

1)大阪周辺で綿が栽培されるようになり、綿の染料として、藍染料の需要が増えたこと。

2)1600年代から製藍技術の改良が試みられ、品質向上の努力が続けられたこと。
・徳島藩が助成策を講じ、藍事業を保護奨励して褒賞を授与した。その結果、1700年代には全国市場を支配するようになった。
・技術改良には、「手板法」という阿波藍の鑑別法が大きく貢献したと考えられる。「手板法」を使って、阿波藍の色の濃度や色相を客観的に調べ、その客観的評価が適正な製造条件を導き出し、製造技術を向上させた。

3)徳島の地理と気候が藍作に適していた。
・徳島県は東西に吉野川が流れ、その流域で藍を栽培していました。しかし、当時の吉野川には堤防が築かれていませんでしたので、毎年、台風の時期に多量の雨が降り、川は氾濫し、大洪水が起きていました。台風は稲刈りの時期の前に来ることが多かったので、大きな損害を被る危険性が伴い、稲作には適さなかったのです。その点、台風の前に刈り取りが終わってしまう藍作は、徳島県に適した産業でした。台風時の洪水は、住民にとって非常に危険な水害であったことは言うまでもありませんが、藍の収穫後の藍畑に肥沃な土を流入させた一面も併せ持つのです。


阿波藍の繁栄は1800年代まで続き、その後、1903年には、徳島の藍栽培の面積がピークを迎え、約150,000,000m2まで増えました。ですが、このピークの少し前から、阿波藍産業はかげりを見せていきます。1903年以降は、インドからの沈殿藍とヨーロッパからの合成藍の輸入が増え、阿波藍の生産量は激減。その後、1966年には、徳島県における藍の栽培は、わずか約40,000m2になってしまいました。この数値は、1903年の栽培面積の約0.027%です。
1966年まで減少し続けた阿波藍ですが、その後、徳島の藍栽培は約200,000m2へと増えていきます。1966年を境に、阿波藍を保存・振興しようと、人々の阿波藍復活の気運が高まったのです。その後も藍の栽培面積は増え続け、1985年までに約500%の増加をみせました。1985年から20年を超えて、その栽培量は維持されていましたが、世界的な経済不況の影響もあり、ここ数年の生産量は、約1,000俵、言い換えれば約56トンを下回っています。
《参考文献:川人美洋子「阿波藍」》

阿波藍の染料液

通常、染料は水に溶けますが、藍染料のインジゴは水に溶けません。しかし、染まるためには、水に溶けなければなりません。インジゴを水に分散させるだけでは、水に溶けたと言えず、布に染まらないのです。
インジゴは、還元されるとホワイトインジゴになり、さらに水に溶けるイエローインジゴに変換されます。そのイエローインジゴが布や糸に吸着し酸化しますと、元のインジゴになって青く染まりつくのです。このように、インジゴを還元させ、青に染める染料液を作る過程を「藍を建てる」と言います。水に溶けないインジゴを建てて、溶けるようにする藍染の工程は独特です。
藍を建てる方法として「発酵建て」があります。一般的に発酵とは、微生物が増殖して、必要な酵素を生成し、その作用を利用して目的物を生じる過程を言いますが、藍の発酵建ても、還元菌を増殖させ、還元酵素を生成し、還元酵素の働きによってインジゴを還元しています。発酵建ては、化学薬品がなかった時代から今に続いている伝統的な手法です。

一般の植物染料は、植物を煮出し、その液に浸して染めるのですが、阿波藍の発酵建てでは、他の植物染色と違って発酵過程があるため、難しいと言われています。還元菌や還元酵素を直接見たり触ったりできないことも難しく感じる原因だと思います。
阿波藍を使った染色の不思議は、還元菌がインジゴの還元に関与していることです。酒や味噌の製造のように、工業的に微生物が利用されている事例は多いのですが、染色の分野で菌を使うのは、とても珍しいことなのです。
《参考文献:川人美洋子「阿波藍」》

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